香ばしい匂いがしました。

伯父の一人が亡くなったため、お葬式に出席してきました。
うちの父は兄弟が多く(7人兄姉の末っ子)親族席は満員でしたが、小さい頃会ったきりの人も多いため誰が誰やらわかりません。
伯母の夫の父親って、すでに血繋がってないし。



お骨あげは、部位の説明をしてくれる係の人が「ここは足の親指の骨ですね〜」「この骨盤のくぼみに大腿骨の丸いところがはまるんですよ」などと実際お骨を持ちつつ丁寧に説明してくれて、閉棺の時には号泣していた人も、なんだか楽しげでした。
「喉仏」が本当に人が座った形をしているなんて知らなかった。
説明の後はみんなわいわい言いながら拾う拾う。
なんせ出席者が多いものですから、終いには骨壷からお骨が溢れていました。
みんな入れすぎ。
火葬場の人は持ち込まれた遺体の状況など知らないと思うのですが、係りの人はお骨を前にして「故人の方は何ヶ月か寝込んでいらっしゃいましたか?」と訊かれました。
脚の骨はしっかりしているが、背骨が少し衰えているんだとか。
長く寝込んだ人やあまり歩かないお年よりは、まず背骨から弱っていって、脚の骨が衰えだすのはその後だそうです。骨からそんなことまでわかるんだ…。



しかし、お骨になってみると美醜なんて皮一枚のことなんだと強く感じますね。
キラ様はお骨になっても美しいと思うけどね(結局それか)。



小さいときからとても可愛がってくれて、就職の時にもお世話になった伯父だったのですが、亡くなったと聞いた時も出棺の時も、涙は一滴も出ませんでした。
別の伯父の葬儀の時も姪達が泣き崩れる中、私だけ泣けなかった。
こういうとき、自分は冷血なのではないかとちょっと悩みます。
ゲームのシナリオで泣くのに親戚が死んでも泣かないのは問題ありだわ。
少しだけ仏教系の学校に通ったから、死は終焉ではないと心の奥で思ってるのかしら。
表層意識では「死んだら終わり」だと思ってるんだけどな。